チリにやってきたのが2023年4月27日。
10月27日で半年が経った。
振り返ってみると、あっという間だったなと月並みな感想がよぎったけど、
いやいやよく考えればとてつもなく濃い半年間を過ごさせてもらった。
【濃い生活】というと、いかにもストイックで、充実した勝ち組街道まっしぐらなイケイケ三十路おっさんを思い浮かべると思うけど、
とくに俺自身努力はしていないから自慢できることではない。
4年間働いていた仕事を辞めて、
生まれてから30年近く住んでいた国から、
チリという南米のどこだかいまいちよくわからない、モアイくらいしか思いつかないような国へやってきたのだから、
誰だってこれくらい環境に変化があれば、【濃い生活】を送れるってものだ。
まあ、日本にいた頃よりは一生懸命生きてるかな。。。
さて、チリにきて最初の一か月は語学学校に通いながら、ホームステイをした。
結論から言うと、この選択は可もなく不可もなく。まあ何事もなく終わったから成功とするか。
最初の一か月は、まったく知らない土地だったから、
みっちり語学学校を毎日通って、そこで先生にチリの生活の仕方を教わったり、チリのおすすめスポットを聞いたりできたことは良かった。
ホームステイ先も清潔でよく眠れた。
おかげでなんとなくの土地勘は理解できたし、ゆっくりチリに順応できた。
しかし授業の質は、うーん微妙。
これなら東京で通っていた語学学校の方がしっかり理解できた。
同じ教科書を使っていたし、なんといっても東京の先生もネイティブのペルー人だったし、日本語もペラペラだった。
だから日本語でしっかり説明してくれるんだから当たり前だ。
こっちの授業は俺以外、英語がネイティブの生徒ばっかだったから、基本は優しいスペイン語なんだけど、
込み入った説明をするときは英語になる。
俺は両方よくわからないから独りちんぷんかんぷん。
なんかその配慮の無さにも行き場のない怒りを覚えた(まあ俺が悪いけど)
あと語学学校といえば、現地で友達が作りたかった。
しかしこれも成功したとは言えなかった。
チリの語学学校に着いて早々に気が付いたけど、
俺、みんなでワイワイするの苦手だった!!
忘れてた。
学校では7割くらいの生徒はブラジル人だった。
ブラジル人たちと仲良くなりたかったけど、ブラジル人同士で固まっていてなかなか輪に入ることが出来なかった。
その他の生徒たちは、(スペイン語風に言えば、オトラ勢)
英語圏or英語ペラペラ欧米人だった。
彼らはスペイン語学校だというのにカフェテリアで英語で喋っていて、なんか気に食わなかった。(要は俺はボッチだったってこと)
唯一カメルーン人の女性とは仲良くなった。
お互い、欧米人やブラジル人たちが多い中ちょっと浮いていたので、仲良くなれたのだと思う。
残念ながら二人とものスペイン語がままならず、ちゃんとした会話はなかったけど。
あとはホームステイ。
俺が想像していたのは、チリの一般家庭で、毎日今日会ったことを食卓を囲みながらホームステイ先の家族と語り合ったり、
ホームステイ先の子供の面倒を見ながらスペイン語を教わったり。
休日にはバーベキュー(スペイン語風に言うとアサード)に連れて行ってもらったりを期待したが。
そんなことは何一つなかった。
借りた家は、言わばお金持ちのマダムのマンションで、その一室に住まわせてもらった。
基本的にマダムは外出中で俺一人だった。
ある日、マダムの8歳くらいの孫娘が遊びに来ていて、リビングで家族でトランプをしていたから、
混ざりたくて、日本から持ってきたお菓子をあげるついでにコミュニケーションを取ろうとしたら、
その孫娘のお父さん初め、家族みんなにひどく驚かれて、警戒されてしまった。
この男はお菓子をあげるだけなんだと認識したら、何とか警戒は解いてもらったが、
なんかその寂しい対応にこちらも冷めてしまい、以後極力絡まないようにした。
そしてそれ以降、なんとなく疎外感があり、居心地は良くなかった(マダムは親切でいい人だったけど)
あと一週間だけ、同じ留学生のドイツ人の女の子とホームステイ先が一緒になった。
夕食時に毎日一人寂しく自分で作ったパスタを食べていたけど、
その子が来てから一緒に食べるようになって、楽しかった。
一度、お風呂に入った後、さあもう寝ようかと思っていた夜中に、今から飲みに行かないかと誘われたことがあった。
アプリで知り合ったドイツ人の女の子と、チリ人の男と会うから一緒に行かないかと。。。
俺はもう完全にリラックスモードだったし、翌日また学校もあるしなによりあまりに急だったので、
その誘いを断ってしまった。
その時の彼女の、「この意気地なし」的な憐みを持った目が今でも忘れられない。
あの時ついていったら何があったのだろうか。。。?