チリのいろいろな土地を回って思うこと

去年2023年の8月にお寿司屋さんに就職してからの5か月間、

週6日、6.5時間シフトを続けていた働き者の男は、

やっと2024年の2月に2週間のバケーションを取得できた。(全く、これじゃあ日本で馬車馬のように働いていたサラリーマン時代と変わらないじゃないか!しかも給料は月10万円だぞ???)

いや、正確に言うと、仕事を変えるタイミングなだけなのだが・・・

そんなわけで現在、久しぶりに旅に出ている。

チリに来てからの9か月間、実に様々な土地を巡ってきた。

サンティアゴ、バルパライソ、ビニャデルマル、プエルトモント、プエルトバラス、イキケ、バルディビア

チリの地形についてよく知らない人は一度グーグルマップを見てほしいのだが、

南北にとにかく長い。

世界で一番南北に広い国である。

日本も同じように南北に細長いから、

日本人にはわりかしイメージしやすいと思うが、

北海道と、沖縄が全然違うように、その土地どちで、まったく異なった自然の顔が見られるわけだ。

単純に考えれば、日本の2倍以上に南北に細長いのだから、その違いも2倍異なってくる。

チリでいえば、北は砂漠地帯が延々と続き、真ん中に首都サンティアゴやリゾート地バルパライソがある比較的過ごしやすい気候の土地があり、

南は一年中ほとんど雨が降り、延々と木々が生い茂る寒い土地が広がり、

一番下は南極地帯だ。

当然、その土地どちで異なった街の表情というものを期待する。

「この町の名物料理はなにかな?」とか「この町の建物はどう違うのかな?」とか「スーパーで売っているものの違いはどんなものがあるかな」とか「お土産屋さんは何が売っているのかなとか」

日本で旅するならだれでも上記のことは少なからずの旅の醍醐味のはずだ。

しかしここチリにその基本中の基本の楽しみ方を期待してはいけない。

全てが全く同じなのだ。

一年中気候が変わらない砂漠地帯に住んでる人間も、一年中鬱蒼とした雨模様に住んでいる南の人間も、食べているものが一緒なのだ。

チリ人がいうには、まったく異なった食文化だというが、いやいや馬鹿言っちゃいけない。

俺からしてみたら何もかもお前らが食っているものに変わりはない。

どこいってもチリ風ホットドックの屋台が立ち並び、どこに行ってもおやつはモテコンウエシージョだ。

そして信じられないことにどこの屋台にいったって、味は変わらない。

もうちょっと自分の味というか特色を出さないもんかね?いやいや出さないわな。

理由はエイエンとわかる気がしない。

この理由が分かるとき、真の南米人となれるのかな?

「あーこっちの店は隠し味に魚のだしを使ってるな」とか「こっちの店の焼き加減の方が個人的に好みだな」とか

「こっちの店の食べ物の見た目がおしゃれで好きだな」とか日本では無意識的にみんなそれぞれ同じような料理を出す店で、

区別していると思うが、ここチリではそんな楽しみ方は絶望的に乏しい。

何故なのだろう。

おそらく理由はあるのだろう。

聞いた話では、

チリは国が出来てからまだ500年、600年ほどしか経っていない。

南米の国全体に言えるが、チリにもともと住んでいた先住民(という言い方は好きではないので、)もともと住んでいた人々は、

スペインから侵略してきた人々によって皆殺しにされてしまった。

そして文化的遺産もすべてぶち壊されてしまった。(奇跡的に難を逃れた一例に、お隣ペルーにあるマチュピチュがある)

だからもともと住んでいた人々のすべてのものを破壊して500年ほどしか経っていないから、歴史が浅い。

そして料理の文化についても、昔は料理は奴隷やそれに近い身分の低いものの仕事であったため、日本のように豊かな文化へと発展しなかったのではないか・・・ということらしい。

もちろんこれはすべて真実とは限らないから、ふーんくらいで聞いてほしい話なのだが・・・

また、1973年から1990年までチリではピノチェト政権という独裁政権による暗黒の時代があった。

そう遠くない過去だ。外出禁止令が出されほとんど自由に外出できなかったらしい。

だから、チリには過酷な過去があり、それについてよそ者であり、まったく無知の俺が勝手に旅行して、

「チリの旅はつまらない!!」と喚き散らすことは大変に敬意を欠いたことだとは自覚している。

ただ、すごく勝手な意見を言わせていただくと、チリ国内を旅行することはつまらない。

どこの街へいったって、自然の表情は変われど、街の表情は何一つとして変わらないのだから・・・

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